企業VPの場合、よく修正が入ります。

私はミスがないからいつも一発で納品よ♥とかいうナレーターさんもいるかもしれませんが、どちらかというと、そういう修正ではないんです。以前にもスタジオの場合については、こちらに書きましたケド。https://shokoesho.net/2017/03/03/torinaoshi/

すでに決定稿だけれど、収録してみると「なんか違う・・・」と感じたりされたクライアント様が、ほんの2,3か所原稿を書き換えられたりとか、そういった修正です。

海外の場合はもう1回で終わるなんてことは幻想だと思って仕事をします。そういう風に思っている方が気がラクなんですよね。あまりにもトラブルが多いので。日本語もどこか別の次元に存在するジャパーンという国の言語。・・・みたいな感じ。

以前も書きましたが、海外の場合はその制作スタッフに日本人がいないとかなり悲劇的です。翻訳の人も外国人だったりとかすると、微妙な文法の違いがわからない。しかもそれを直さないといけません!とか言っても聞いてもらえないこともあります。

去年の後半はこういったことが続いたので、その合間に日本人から依頼が来ると「なんてスムーズに仕事が進むんだ・・・」と感動していたこともあります。

じゃあ、宅録の修正はラクなのか、というと実は大変です。

 何が一番大変かと言うと、どんな人でも後日録音すると声が全く違うんです。

特に、音程の幅が広いナレーターさんほど苦労しているかと思われます。声が変えられるというのは強みである一方、録り直しとなった時は弱点にしかならない。

たった1つの文章の修正で、なんと1時間もかかることがあります。ですから、宅録業者さんが修正や追加に代金をいただくというのは正しいことではあるんです。

それに、料金がかかってくるとなれば、原稿の最終チェックも入念に行われるという心理も働きます。締め切りというのはありますから、それに間に合わすというイミでも外せません。

ただ、それでもねー、やっぱり実際書いたものと、読んだものではイメージが違うんですよ・・・私自身こうやってブログとか書いていてもそう感じます。ここは直した方がいいな、とか。

完璧な作品というのはないですが、少しでも良さげな作品を世に出したいという気持ちはわかります。だからってガラスの仮面みたいにいつまでも直していて、いつまでも続きを出さず、というのはどうなんだろうと思っていますけど。

私と友人たちの話題のひとつに「このままだとさぁ……もう生きてる間に最終回読むの、ムリっぽいよねぇ」というトピックがあります。と、いうかたぶん世界中の人々が思ってんじゃないかしらね。

まぁ、先生の気持ちはわかるんです。昔の作曲家は交響曲の10番を書いたら死んじまうというジンクスを本気で信じていましたから、9番止まりなのよね。もしかしたら、そういう恐怖を取り除かないと、永遠に完結しないかもしれないです。これは心理療法とかで何とかなるんですけど、無意識にやっちゃってるかもしれないし。

フィギュアスケートで青い衣装着ないと金メダルとれない、みたいなのと一緒です。

だいぶ話はそれましたが、締め切りに間に合うなら無料のリテイクもあり、としているのはそういった願いもこめてのことです。

さっき、ミスのないナレーターさんもいらっしゃるのだろう・・・と書きましたが私は天才じゃないんで、そんなことありませんよ。だから、私自身は録り直しには快く応じます。

実はリテイクがうまくハマった時の方が、実力を発揮できた!と思うものなのですよ。たぶんかなり難関な作業なのでね。

ナレーションの仕事ってホントにウケるなぁ、と思うのは想像もしなかった固有名詞のアクセントです。

今の時代はさまざまなサービスにおもしろおかしい名前がつきますから、自信満々で提出したら、なんと冒頭にアクセントがつく読み方だった!なんていう修正もありました。

ナレーターの皆様、固有名詞にはお気をつけて・・・